nezumi

ちかごろ老いをしみじみ味わっているわたくしには「決意」という言葉は、なんと若さのあふれた言葉だと懐かしささえ感じます。

昨年の年末に肺炎を患い緊急入院を余儀なくし、とうとう年末の31日まで入院生活を続け、かろうじて新年を我が家で迎えることが出来ました。

そんなわけで、これまで歳の初めに「一年の計」というか「一年の決意」のようなものを簡単にまとめてブログなどに明記して自分自身を鼓舞させていました。

が、今年はもうそれどころではなくなりました。

年末にやっと家にもどった私は、慌てて年初めだから、せめてお座敷だけでも簡単なお正月のしつらえを、と思いながら・・・・。

例年通り床の間に注連縄(しめなわ)を、先代から継がれている鷹の画の三幅対の掛軸、蒔絵の重箱と汁椀、古式豊かな三方に古布で創られたお鏡餅などを飾ろうと、今まで長年お正月には続けてきた慣例だからと高を括ってぼちぼちと準備を始めましたが、なんと一向にはかどりません。

つくづく歳を重ねた自分をもどかしく戸惑を感じてしまいました。

でもやっとの思いで作業を済ませ、座敷を眺めながら、どうにか型だけでも年神様をお迎えする準備が出来たと安堵感がわいてきました。

「なぜ、安堵感を?」ってお思いになる方が多いかもしれませんが、お正月の「しつらえ」は年神様を我が家へお迎えするための大切な行事の一っだからです。

わたしが生きてきた戦中、戦後は世の中全体が、なにもない貧しい暮らしでしたが、それでも美しい四季に恵まれた日々の中で、野原のススキを刈ってきて飾り、ふかしイモを供えて月見を楽しんたり、近所のお寺の境内の桜の木の下で手造りのお弁当でお花見をしたり、自然に寄り添いながら楽しく遊んだものです。

そんなふうにつつましいときめきを溜めて生活してきたものですから、今の暮らしはあまりにもいろいろ過激な楽しみが多く、年寄りは戸惑ってしまいます。

病を重ね、年老いて動きの悪くなった私は、あらゆるものがものすごいスピードで流されている今日、若いころのようにその流れを追いかけて声高に決意するのではなく、ギャラリーをライフワークとして若者の成長を楽しみながゆっくりと年寄りは年寄りらしいささやかなきらめきをかさねてゆくことにしましよう。